日本人初の快挙!太田“最後の覚悟”でつかんだ世界一

「試合の中でも、攻防を随所に変えることができたのが非常に良かった」と自画自賛。大舞台でもう一度“世界一”の称号を得て、有終の美を飾る。

日本人初の世界一に輝いた。最後は相手の胸を突き、金メダルを決めた。

金メダルに自然と笑みがこぼれた。新たな勲章が加わった。

ロンドン五輪後は約1年間、実戦から遠ざかった。今大会の優勝で、来年3月31日付の世界ランキングで決まるリオ五輪切符も「個人は確率が高くなった」(協会関係者)と4大会連続五輪出場へ前進

そわそわしながら太田は表彰台の一番高い場所に立った。最後の最後でこうやってタイトルを獲れて本当にうれしい」と喜びをかみしめた。

「1つ目標を達成した。攻撃方法は「突き」のみで、攻撃権が存在。

20年東京五輪招致にも尽力した日本の顔が、来年のリオデジャネイロ五輪へ大きな弾みをつけた。個人戦はいずれも3分3セットの15点先取制。

20年東京五輪招致では招致アンバサダーとして、プレゼンテーションに3度登壇して熱弁を振るうなど、アスリートとして活躍の場も広げている。言葉にできない」。

「昔から“日本初”とか“何回連続”とか好きで、常に目標にしてやってきた」と父・義昭さん(62)。▽フェンシングのルールフェンシングには、フルーレ、エペ、サーブルの3部門がある。

先に腕を伸ばして剣先を相手に向けた方に攻撃権が生じ相手がその剣を払ったり叩いたりして向けられた剣先をそらせると攻撃権が消滅。それでも29歳のベテランは守りを怠らず、多彩な攻めで向かった。

男子フルーレ個人の決勝トーナメントが行われ、08年北京五輪個人銀メダリストの太田雄貴(29=森永製菓)がアレクサンダー・マシアラス(21=米国)との決勝を15―10で制して初優勝した。太田が専門とするフルーレは、有効面が上半身の胴体のみ(背中も可)で、有効面が上半身全体のサーブルや全身のエペに比べて小さい。

マシアラスとの決勝は7―2から連続して5点を許し、追いつかれた。13年8月には国際連盟のアスリート委員に選出されるなど競技普及の面でも積極的な活動を行ってきた。

30歳で迎えるリオデジャネイロ五輪について「今はリオで一区切りだと思っている」と五輪後の現役引退を示唆した第一人者は、「人生の最後の世界選手権になるかもしれないと思って挑んだ。競技人口は日本ではフルーレが最も多いが、世界ではエペやサーブルの人気が高い。

「(今回は)フェンシングをメジャーにしたい、というメダルだと思っていない。日本勢の大会制覇は全種目を通じて史上初の快挙。

アテネ北京五輪で2冠を達成した競泳男子平泳ぎの北島康介(32=日本コカ・コーラ)からの祝福のツイッターには「ありがとうございます!来年の夏は一緒にリオに行きましょう!」と返した。ゴールは五輪の金メダルだ。

ついに世界一の称号を勝ち取り、日本の競技史の新たな一ページに名前を刻んだ。攻撃権がないと突いても得点は入らない。

相手に攻撃権が移る。戦略面を重視し、ついに頂点にたどりついた。

復帰への迷いもあったが、「やるんだったら金メダル」と腹をくくり、癖だった猫背を矯正し、股関節の使い方も変えた。それは五輪でやるべき」。

太田は北京五輪は個人で銀メダル、ロンドン五輪は団体で銀メダルと2大会連続でメダルを獲得し、歴史を切り開いてきた。