引退から10年…元巨人・條辺剛がうどんに賭けた第二の人生

翌年もリリーフとしてリーグ優勝に貢献した。「修行先の師匠から『彼女と一緒なら受け入れる』と言われまして。

将来の夢は巨人の本拠地・東京ドームの最寄り駅・水道橋に店をオープンすること。店に来た巨人ファンのヤジはボクが引き受けるので、頑張って欲しいですね」どんな時でも一切の妥協をしなくなった。

だからこそ、今度はこちらが応援する番。05年オフ、24歳の若さで戦力外通告を受けると「第2の人生」を余儀なくされた。

これで『讃岐うどん』という名で出してほしくない」それからは、より丁寧にダシ、麺作りにこだわった。2001年、高卒2年目ながら長嶋監督率いる巨人の中継ぎ右腕として活躍。

ところが、この年を最後に右肩痛に苦しみ、以後3年間は二軍中心の生活に。そんな時、先輩の水野さん(雄仁氏=現野球評論家)の紹介を頼りに、06年から宮崎の製麺所勤務を経て、香川県にあるうどん店で修行させてもらうことになったんです」修行先は讃岐うどんの名店「中西うどん」。

「巨人ファンに育ててもらったことは今も感謝していますから。球界を去る際にも気にかけてもらったからこそ、新監督に託す思いは強い。

「最近は賭博問題で頻繁にお客さんに怒られてますよ。でも、経営については素人。

当初から「元巨人投手の店」という物珍しさとマスコミ報道もあって、店は連日大繁盛だったが、オープンから4カ月たったある日、来店した初老の男性が漏らした“一言”で失意のどん底に突き落とされた。でも、実際に一緒に修行してくれたおかげで乗り切れた気がします。

いざやってみると、想像以上に過酷な世界だった。「小さい頃から飲食店経営の夢はあったので、野球をやめた後はその道に進もうと思っていました。

ボクが厳しい修行の途中で逃げ出すと思っていたのでしょう。オープンから8年たった今も1日平均300杯以上を売り上げる人気の秘訣は、この時の「屈辱の一言」があったからだという。

うどん屋の朝は早い。支えは、当時恋人として付き合っていた妻・久恵さん(37)の存在だった。

午前3時30分に起床すると、すぐにダシと麺の仕込みが始まる。ボクはひたすら謝るだけなんですけどね」東武東上線上福岡駅近くのお店を訪ねると、條辺剛さん(34)はこう切り出した。

野球をやめた直後、現役時代に買ったベンツを乗り続けようと思っていた自分に、『うどんの見習いが外車に乗ってていいのか!』と厳しく叱ってくれたのも彼女。その裏で、営業中は1日15回程度、自ら麺を打つ重労働も加わる。

およそ2年の修行を乗り切った夫婦は08年4月、久恵さんの実家に程近い今の場所にうどん店をオープンさせた。眠い目をこすっても簡単に目は覚めない。

以来、ボクの愛車は原付バイク…。まだ3人の子供が小さいので具体的ではありませんが、いずれは勝負したいです」今オフ巨人監督に就任した高橋由伸は、現役時代に世話になった大先輩。

「このうどん、おいしくない。今でも彼女には頭が上がりません(笑)」■條辺さんを変えた“屈辱の一言”二人は修行中に入籍。

「由伸さんはボクが戦力外になった直後、携帯の留守電にメッセージを残してくれた数少ない先輩の一人です。『巨人、何やってんだ!』って。