スパレッティ、ラウドルップ、マガトの3氏 代表監督絞られた

リーグとドイツ杯を連覇。中盤で攻撃陣のタクトを振った。

マガト氏はハードなフィジカルトレーニングが「軍隊式」や「鬼軍曹」とささやかれるが、規律を重視する日本人とは相性がいい。ハードなフィジカルトレーニングを課すことでも知られている。

また、西ドイツ代表としてもプレーしており、82年W杯スペイン大会、86年W杯メキシコ大会に出場し、2大会連続の準優勝に貢献。日本人の特性も理解しており、フィットするのに時間はかからないとみられる。

14年2月に解任され、その後カタールのレクワイヤの監督に就任した。今週初めに本格的な交渉を開始している。

6日の技術委員会では、10人前後のリストから優先順位が高い5人までを挙げ、さらに絞り込み交渉を進めている。2年目には後半戦から追い上げ、日本代表MF長谷部主将らとともに初のリーグ優勝に導いた。

現在は3人に絞って交渉を進めているとみられるが、まとまらなければ他の候補者との交渉もスタートする。その3人は、現在フリーのスパレッティ氏、現在、カタールのレクワイヤを率いるラウドルップ氏、フリーのマガト氏で、既に接触している。

欧州の有力代理人らによると、日本サッカー協会関係者は10日までに、元ローマ監督のルチアーノ・スパレッティ(55=イタリア)、カタールのクラブの監督を務めている元デンマーク代表MFのミカエル・ラウドルップ(50)、元ウォルフスブルク監督のフェリックス・マガト(61=ドイツ)の3氏と接触した。交渉を任されている日本協会の霜田技術委員長は、8日に極秘渡欧。

監督としてはデンマークリーグのブロンビーで05年リーグ優勝、07年に就任したスペインのヘタフェではコパデルレイ準優勝。ローマの監督時代には、トップ下で不動の地位を築いていた元イタリア代表のトッティをセンターFWにコンバート。

また戦術面は、パスをつないで組み立てる攻撃的な戦術がベースだが、初めて監督となったデンマーク・ブロンビーでは守備的な選手を獲得しDF面を安定させるなど、戦術にも柔軟性がある。6月のW杯2次予選、さらには18年W杯ロシア大会へ向けて、後任監督候補が一気に絞られる可能性が出てきた。

2年連続2冠の好成績を収めた。07-08シーズンからは、ウォルフスブルクの監督に就任。

デンマーク代表として104試合に出場し37得点を挙げている。神戸には96年と97年の途中まで在籍し、通算15試合に出場し5得点。

ウォルフスブルク時代には、長谷部、大久保、シャルケ時代には内田を指導。候補者3人中2人がフリーで、交渉が順調に進む可能性はある。

現役時代はハンブルガーSVで300試合以上に出場。現在、日本協会の霜田正浩強化担当技術委員長(47)が欧州に渡っており、さらに交渉を進めるとみられる。

日本協会は、W杯南ア大会が終わった5年前からスパレッティ氏の調査を続けている。日本協会は、次期監督候補を現時点で3人前後まで絞り込んだ。

98年6月に現役引退。04-05シーズンは、Bミュンヘンを指揮。

純粋なFWを起用せず、中盤から前で細かいパス回しの攻撃的な戦術を植え付けた。監督としても高い能力を発揮。

サッカー日本代表の次期監督候補が事実上3人に絞られた。イングランドスウォンジーの監督としては12-13シーズンのフットボールリーグ杯(現キャピタルワン杯)優勝に導いた。

ケベンハウンBKでデビューし、ユベントスラツィオなどをへて、89年にスペインのバルセロナへ移籍。◆ミカエル・ラウドルップ1964年6月15日、デンマークコペンハーゲン生まれ。

ラウドルップ氏は欧州のビッグクラブでの指導経験はないものの、スペイン・ヘタフェ時代にはコパデルレイで準優勝、12年から指揮したイングランドスウォンジーではキャピタルワン杯制覇に導き、クラブに初のビッグタイトルをもたらすなど、豊富な戦力がなくても好成績を挙げてきた。94年にはライバルのRマドリードへ移籍した。

代表通算43試合に出場した。ゼロトップシステムと呼ばれ、当時のセリエAでは最も美しいサッカーと呼ばれた。

大仁邦弥会長からは「できれば(3月27日の)チュニジア戦(大分)には間に合わせてほしい」と指示されている。欧州の有力代理人らによると、日本サッカー協会関係者は10日までに、元ローマ監督のルチアーノ・スパレッティ(55=イタリア)、カタールのクラブの監督を務めている元デンマーク代表MFのミカエル・ラウドルップ(50)、元ウォルフスブルク監督のフェリックス・マガト(61=ドイツ)の3氏と接触した。

サッカー日本代表の次期監督候補が事実上3人に絞られた。◆フェリックス・マガト1953年7月26日ドイツ・アシャッフェンブルク生まれ。