掛布VS宇野「大敬遠合戦」の真実

宇野:そんなことがあったんですか。「カケ、俺は今年はダメだ。

28年ぶりのタテジマ復帰、若手育成に燃える阪神掛布雅之二軍監督(60)と元中日、ロッテの本紙評論家・宇野勝氏(57)。浩二さんは覚えてないかもしれないけどね。

鈴木(孝政=現評論家)さんが敬遠していたのがちょっと…。掛布:でも、ヤマさんはそう考えてなかった。

「親として子供を守るのは当然だ」って。それから俺がバンバンといって。

カケさんはあの時どう思っていたんですか。宇野にタイトルを取られても構わん。

宇野:ああ、そうだそうだ。ヤマさんは「ここまで中日を引っ張ってきた宇野に、ホームラン王というタイトルを取らせるというのは親として当たり前だ」って言ったの。

ヤマさんはバッター出身だから分かっているよね。宇野:もしも掛布監督だったらどうしました。

でも、僕は山内さんから何も言われてないですよ。甲子園(9月26日、大洋戦)で遠藤からライトスタンドに37号を打ったの。

宇野:確かに。(当時、阪神の監督だった)安藤(統男=現評論家)さんも「勝負してくれ」って言いに行ったの。

掛布:あいつ最多勝がかかってたんだよな。上に上げりゃ入るから。

「浩二さん、やりました」って意味だね。あの当時はみんな(両軍の敬遠合戦を)非難した。

だから、そういういい勝負ができる選手をこれから育てていきますよ。タイトルを取らせることで宇野の来年が絶対に変わると信じていたわけだよ。

宇野の野球人生の中でタイトルホルダーになることは全然違う。掛布:俺は勝負しようって言うよ。

25か26ぐらい。これは中に入って監督という立場にならないと分からないと思う。

だけど、タイトルを取る厳しさを教えなアカンぞ。ただ俺はね、その判断というのは理解できるんだ。

掛布:テレビの取材が嫌でねぇ…。掛布二軍監督:まさか宇野にインタビュー受けるとは思わなかったよ(笑い)。

宇野:前に話したことがありましたけど「あのとき、俺は調子良かった」ってカケさん、言ってましたよね。まだまだ俺には、チャンスがいっぱいあると思っていた。

宇野とはホームラン争いで10打席連続フォアボールもあったな。鈴木は16勝)。

宇野:そうですね。宇野:そういうことですね。

宇野:今日はよろしくお願いします。宇野:そうですね。

あのとき、全イニング出てたやろ。勝負すれば」と思っていた。

浩二さんに言われた役割はできたな、と思ったの。宇野:僕はまだ若かった。

そしたらヤマさんが俺のことを見て「おい、カケ。ただ、その年、広島の(山本)浩二(現評論家)さんに言われたの。

掛布:俺(9月下旬に)6試合で4本くらい打ったもん。その次の年(85年)のほうが(自分の)ホームランの本数(41本)も増えました。

掛布:そうなのか。それはタイトルを取ったうんぬんじゃなく、並んだということじゃなくて、前にタイトルを取った人間として苦しませてやりましたよ、ということ。

打った瞬間に入るホームランだったので「やった!」ってね。タイトルはそんなに簡単に取れないっていうことは、おまえが俺から取って分かっているだろ」って。

まぁ、あの時は消化ゲームだったからな。今はクライマックスシリーズとかもあるから。

それで宇野に追いついたんだよね。宇野とは4本ぐらい差があったから、自分なりに追いつかないまでも1本ぐらいまでの差にはしたいとね。

1球がいいのか?4球がいいのか?」って。ひと言もなかった。

掛布:周りの人はいろいろ言う。掛布:それに、あの年、宇野は阪神のピッチャーをよう打ったんだよなぁ。

そしたらヤマさんが絶対に勝負しないんだもん。プロの世界もそんなに長くやってるわけじゃないから「いいんじゃない。

その時、西本(幸雄=故人)さんだけだよね、「俺も同じことした」って言ってくれたの。掛布:宇野の方が37本で止まってたんだよな。

だったら、俺は「代打で1回1打席にしましょうよ」って言ったの。宇野:あー。

3番なら1回表に確実に打席が回ってくるからって言うんだよ。そういうのもありだったんですね。

俺は守ることもなく勝負するよって選手も納得させるし…。宇野:そういう話があったんですか。

ただ宇野とはいい経験をした。宇野:あれはちょっと困りましたね(84年の最多勝は17勝で大洋・遠藤一彦=現本紙評論家。

掛布:中日の監督は山内(一弘=故人)さんだろ。試合前に安藤さんが「申し訳ないけど、3番打ってくれ」って。

俺は、もう絶対の自信があった。「絶対に宇野にホームラン王を取らせる」って。

掛布:そしたら、おまえの方が全イニング(出場)がかかってるからダメだって言いだしたの。俺、ヤマさんに「勝負してください」って言ったの。

掛布:俺、あのとき(10月3日の中日戦=ナゴヤ球場)3番でいったんだよ。でも、みんな敬遠してきたやろ。

ただ運悪く、流れ流れて最後2つ続けて中日と阪神の試合だったというのがね。【宇野勝・フルスイングの掟】キャンプ真っただ中の4日、スペシャル対談が実現した。

だから、俺はあの年は打率2割7分ぐらいしか打ってなかったもん。「何スか、それ?」って聞いたら「1球だったらぶつける」って言うんだよ。

それが、いきなり(敬遠)だもんな。「何でですか」って言ったら「中日の出方を見たいんだ」って。

最後はホームランしか狙ってなかったから。1984年に阪神、中日両軍による前代未聞の大敬遠合戦の末、セ・リーグ本塁打王を分け合った因縁の2人が時を経て阪神二軍キャンプ地の高知・安芸市営球場で…。

しかも次は(狭い)ナゴヤ球場だから。