<受験と私>上原浩治さん原点の浪人経験 苦しい時は19を見る

ここまできたらちゃんと体調管理すること、最後まで諦めずにやることだと思います。メジャーリーグに来たのは、野球選手にしては遅めの34歳です。

大学を選ぶに当たって一番大事なのは、自分が何をしたいかだと思います。でも、そういう時も背番号を見れば、「19歳の時に比べれば、好きな野球を仕事にしている。

でも第三者より、まず自分がこつこつ頑張っていけば、間違いなく自分に返ってきます。大事な場面でマウンドを任される時、(満員の)スタンドを見上げます。

改めて浪人の1年を振り返り、自分でもようやったなと思います。その裏付けは、浪人経験だといいます。

単に友達が行っているから、という理由だったら絶対、やめた方がいい。それは受験勉強も同じで、頑張った人にちゃんと点数が与えられると僕は信じています。

クローザーはきつい。振り返ってみると、無理に受験のテキストを開かず、中学の勉強からやり直したことが良かったように思います。

自分が主役です。そんな幸せなことはない」。

僕は今、39歳。でも、やらないといけなかったので。

そう思うとすごく気が楽になるんですよ。この年齢でレッドソックスの2年契約を取れたということで、提示してくれた球団や関係者、ファンにはすごく感謝しています。

人はなるようにしかなりません。だから振り返ると、あの1年があって良かったと思います。

もっと野球が好きになりましたから。浪人してから、中学レベルからやり直そうと、予備校の一番下のクラスに入りました。

もしスムーズに現役で受かっていたら、今の自分はないかもしれない。だから、やっぱり諦めるな、ということですよ。

派手なこと、奇をてらったことで注目を引かなくても、こつこつ努力している人は、誰かがちゃんと見ていてくれるものです。「クローザー」としてチームメートや監督から絶大な信頼を得ていた上原投手の登板は、常に苦しい場面ばかりでした。

大学を卒業してプロ野球の巨人入団からずっと付けている背番号「19」は、「19歳の時の苦しさを忘れないように」との思いで選びました。受験もそう。

またそういう人たちのためにも頑張らんとあかんなと思います。勝負とは別のことが頭に浮かんできて、またパッと試合に気持ちが向かいます。

ですが、あの1年があったから、野球でしんどい場面があっても、そんなに気にやむことはありませんでした。頑張っている人にしか野球の神様は降りてきません。

受験も自分が主役。試験監督が「よーい、始め」と言ったら、1分ぐらい周りを見渡して、心を落ち着かせてから始めるのもいいんじゃないでしょうか。

野球もキャッチボールなど基礎が大事ですが、基本をおろそかにしていると応用もできません。野球は投手が投げなければ始まりません。

今やった勉強がすぐ受験に役に立つかは分かりませんが、試験の前日まで、最後の最後まで頑張ることが大事です。うまく気分転換しないとおかしくなってしまいそうだったので、夕方からスポーツジムでウエートトレーニングをしていました。

チームの勝利のかかった大事な場面でマウンドに上がり、抑えることを当然のように求められます。浪人の1年は本当にきつかった。

高校生の頃は、大学に行って4年間野球をやり、その後は体育教師になろうと思っていました。野球でも球団によって目立ち方が全く違い、「自分の方が成績を上げているのに、なんであいつが目立つんだ」ということもあります。

僕の場合は体育教師になりたいという夢がありました。ただ、やることをきちっとやって、なるようになるための努力をしてきたかどうかで違いが出ます。

高校3年間は野球漬けで全く勉強しなかったため、知識はほぼゼロに近かった。そのため、自宅から通え、自由な校風の大阪体育大(大体大)への進学を考えていました。

米大リーグ、ボストン・レッドソックスの2013年のワールドシリーズ制覇を支えた上原浩治投手(39)。やっぱり、先が見えない19歳の時が一番つらかったから。

逃げては通れない道ですからね。午前9時から午後5時ごろまで予備校で勉強。

それくらい大変だってことを、身をもって経験しましたから、受験生には本当に頑張ってほしいなと思います.「わー、すごいお客さんがおるわー」。こつこつやってきたことが10年、15年を経て実を結ぶことがあります。

僕は今でも「尊敬する人」を聞かれると、「勉強している浪人生」と答えるんですよ。試合だけにとらわれることなく、球場を見回してみる。

好きな教科なんてありません。見渡したらカンニングと思われちゃうか(笑い)。

重圧をはね返す力になったのは、「背番号19」。あの時、勉強したから今があると思っています。