【ロッテ】新人王・石川を救った「神」中部大時代の恩師とフォーム改造

★サッカー小1から2年間サッカーをやっており、Jリーグ・鹿島アントラーズのFWアルシンドが好きだった。指名漏れを糧に、13年は体重を6キロアップ。

これが後に「一から自分の投球のことを見つめ直せた」と振り返る、「新人王・石川」の原点になった。「下半身、体幹でうまく使えていなかった部分があって、そこを使う感覚をつかむものでした。

お立ち台では「絶景です」と叫ぶ。ドラフトでは指名漏れし、何一つ結果を残せなかったシーズンだった。

★女性のタイプ女優・臼田あさ美の大ファン。石川は二つ返事で了承。

▼野球界以外のアスリートなど香川真司(サッカー)、内村航平(体操)、福原愛(卓球)、トウカイテイオー(競走馬)▼その他著名人佐藤健(俳優)、三浦翔平(俳優)、新垣結衣(女優)、ホラン千秋(女優)、堀北真希(女優)、大島優子(元AKB48)、小嶋陽菜(AKB48)▼88年の出来事瀬戸大橋開通、リクルート事件ソウル五輪開催、東京ドーム完成、ドラゴンクエスト3発売でも、あれで成長できて、プロになれたので」昨年のドラフトではロッテ、巨人の2球団に1位指名されたが、その前年は指名漏れするなど、アマ時代は決して順風満帆ではなかった。同年11月に大学日本代表候補に選出。

下手投げや股下スローなど、普段やらない動きを含めた10項目をこなした。堀田氏と再会した石川の表情は別人だった。

富山大会3回戦で敗退した右腕は、甲子園決勝のその日、友人と遊んでいたという。電話の相手は、中部大時代の野球部部長で、現監督の堀田崇夫氏(40)。

何かヒントをもらえないか、と」まな弟子からの「どうしたらいいか、本当に分からなくなったんです」との相談に、恩師は名古屋での特訓を提案した。ドラフト1位で入団し、今季、最速151キロの直球とシンカーを武器に10勝8敗、防御率3・43。

今でも別格だと思う。遠回りはしたが、同じ勲章を手に入れた。

1年目で都市対抗野球にも登板。186センチ、80キロ。

同級生の駒大苫小牧・田中と早実・斎藤が夏の甲子園決勝で壮絶な投げ合いを演じたが、石川には関係なかった。◆石川歩(いしかわあゆむ)★生まれとサイズ1988年4月11日、富山・魚津市生まれ。

翌年3月。▼「BIG4」同級生の広島・前田健太、巨人・坂本勇人らも活躍。

「(田中、斎藤は)雲の上の存在。26歳は照れながら言った。

中部大で伝家の宝刀・シンカーをものにし、社会人の名門・東京ガスに進んだ。田中を含めて「BIG3」、後に巨人・沢村拓一を含め「BIG4」に。

“黄金世代最後の男”の言葉から、プロの自覚がにじみ出ていた。◆12年指名漏れ最大の転機にだが、春に腰を故障をし、社会人2年目は公式戦登板は1試合。

直球は最速140キロ台後半を計測するようになり、翌年のドラフトでの指名が期待されるまでになった。「もう大丈夫です」。

★ヒゲヒゲが濃く、今年2月の石垣島キャンプでは、もみ上げとひげをつなげるスタイルに。レベルは断然、向こうの方が上だし、僕は足元にも及んでいませんでしたから」コツコツ自分を磨く道を選んだ。

しかし、最大の転機が訪れた年でもあった。(12年ドラフトで指名漏れした日は)今でも思い出すことがあるし、ショックだった。

これまで表舞台に立つことがほとんどなかった右腕が、なぜ、突然に開花したのか。中部大では2年時に全日本大学選手権に出場。

◆「1988年世代」メモ▼「ハンカチ世代」06年夏の甲子園早実・斎藤(現日本ハム)が、ハンカチタオルで汗をぬぐう姿で「ハンカチ王子」と一躍大人気に。理想のフォームを手に入れ、最速151キロを誇るドラフトの目玉になった。

06年夏。25歳でようやくプロ入りを果たした“オールドルーキー”はヤンキース・田中、広島・前田、巨人・坂本らスターぞろいの「88年世代」。

7月13日。その秘密に迫った。

練習休みを利用して新幹線に飛び乗った。右投右打。

「雲の上の存在」に近づいた。「僕は新人じゃないですよ」。

「フォームの深いところを教えてもらった。卒業後は東京ガスに入社。

★球歴滑川高では1年秋からエースも甲子園出場なし。(意識は)全くしません。

練習は2日間だったけど、その後も相談させてもらっていました」帰京後もメールや電話で助言を受けながら、一気の成長を遂げた。3年目の日本選手権では2戦15回1/3を無失点、21奪三振で4強入りに貢献。

ワラにもすがる思いでかけた一本の電話。写真集を2冊持っている。

今季パ・リーグ新人王を射止めたのは「黄金世代最後の男」、ロッテの石川歩投手(26)だった。▼「マー君世代」甲子園決勝で斎藤と投げ合った駒大苫小牧・田中が楽天のエースに成長。

26歳。(取材・構成宮内宏哉)◆伝説の決勝戦見ないで遊び「つらかったけど、あの1年があったから、今の自分がある。

同世代のスーパースターへの対抗心すら生まれなかった。7月。

★愛称チームメートからつけられた“(石川)五右衛門”の愛称が定着。自分の投球フォームが正しいのか、どこかに問題があるのか分からなかった。

石川が「神」とあがめる存在だ。3年になっても身長183センチに対して、65キロの「ひょろなが投手」だった。

田中(当時楽天)がパ・リーグ新人王を獲得した2007年から7年。富山・滑川高入学時は体重56キロ。